日本歴史地名大系 「旭市」の解説 旭市あさひし 面積:五〇・六一平方キロ県の東部、銚子市の西方に位置し、南東部は太平洋に臨む。西は八日市場市、東は海上(かいじよう)郡飯岡(いいおか)町・海上(うなかみ)町、北は香取郡干潟(ひかた)町と接する。九十九里海岸平野が広がり、北部には江戸時代初期まで椿(つばき)海があった。新(しん)川はその干拓に伴って開削された人工排水路。JR総武本線、国道一二六号が通る。〔古代―近世〕古代には下海上国造の支配下にあったと推定され、律令制下では「和名抄」に記す匝瑳(そうさ)郡に属し、同郡辛川(あしかわ)郷・大田(おおた)郷が当市域に比定されている。中世には三崎(みさき)庄に属し、海上氏の影響下にあったと考えられるが、寺院では延久二年(一〇七〇)の創建を伝える井戸野(いどの)の真言宗延寿(えんじゆ)寺や、中世後期東国の真言教学伝流の一拠点であったという太田の幸蔵(おおたのこうぞう)寺(もと時宗寺院)などが知られる。天正一八年(一五九〇)木曾義昌が海上(うなかみ)郡阿知戸(あじと)(網戸)に一万石で配されている。 旭市あさひし 2005年7月1日:旭市と香取郡干潟町、海上郡海上町・飯岡町が合併⇒【干潟町】千葉県:香取郡⇒【海上町】千葉県:海上郡⇒【飯岡町】千葉県:海上郡⇒【旭市】千葉県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「旭市」の意味・わかりやすい解説 旭〔市〕あさひ 千葉県北東部,九十九里平野北部の市。 1954年旭町が富浦村,矢指村の2村と合体し,さらに豊畑村,共和村の2村,続いて海上町の一部を編入して市制。 2005年海上町,飯岡町,干潟町の3町と合体。九十九里浜の海産物と付近の農産物の集散地。 JR総武本線,国道 126号線などにより九十九里浜や銚子,鹿島臨海工業地域へ連絡する。北部はかつての椿海の干拓地で,干潟八万石と呼ばれる水田地帯。キュウリ,トマトなどの施設園芸農業も盛ん。農家では副業として植木生産や養豚も行なう。北部の鎌数 (かまかず) 地区には工業団地もある。海岸は夏は海水浴場となる。市域の一部は九十九里県立自然公園に属する。面積 130.45km2。人口 6万3745(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by