軍役衆(読み)ぐんやくしゅう

改訂新版 世界大百科事典 「軍役衆」の意味・わかりやすい解説

軍役衆 (ぐんやくしゅう)

戦国時代に新たに百姓身分から分離されて軍役を負わされた者。1563年(永禄6)の《恵林寺領御検地日記》には,勤軍役御家人衆(同心衆)12名,惣百姓145名とならんで,軍役衆23名が記載されている。これを本来検地日記の一部であった〈恵林寺領穀米幷公事諸納物帳〉とともに見てみると,同心衆は甲斐武田氏の部将の同心として寄親・寄子制の末端に編成される家臣であり,検地の対象となった名請地は御恩として本領安堵がされている。これに対し軍役衆は,本来惣百姓と同様に名田を保有してきた名主であり,本年貢と諸役,夫役を納入していた。しかし惣百姓の場合には検地結果の踏出分をいったん武田氏が没収し,それを含めて新しく創出された名請高の何割かは控除されても結局賦課が加重されたのに,軍役衆の場合では踏出分が武田氏による恩給として再給付がなされ,これについては年貢の免除をうけるかわりに軍役を負わされた。この武田氏治下での,軍役衆として設定された者には彼らが所有する名田の検地を免除され,かりに検地をしてもその増分が恩給として与えられるという原則は,今川氏や後北条氏の場合にも見られる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の軍役衆の言及

【地侍】より

…一般百姓も〈中間(ちゆうげん)〉から〈かせ者〉へというようなコースで主もちの侍身分に取り立てられるのが名誉とみなされ,戦功の恩賞とされることがあった(〈児野文書〉)。 しかし戦国大名はやがて〈百姓等,武士へ奉公すべからず〉(1536年,〈安養寺文書〉)というように,武士と百姓(主なしの侍・凡下)の間を切り離そうとする政策をとるようになり,戦国末期には,大名に奉公し軍役をつとめる侍・凡下が軍役衆=兵であり,主なしの侍・凡下が百姓=農であるという新しい基準をもつ,いわゆる兵農分離の身分制度の形成される方向が現れてくる。この方向を制度として展開したのが豊臣政権で,〈侍・中間・小者・百姓〉などの奉公人が主人に無断でその関係を変更することは禁止され(1588年,〈浅野家文書〉),〈主をももたず,田畠作らざる侍共〉は農村から排除さるべきものとされた(1590年,〈平野荘郷記〉)。…

【兵農分離】より


[兵農分離の端緒]
 兵農分離の端緒的形態は,戦国大名が行った検地の施行過程のうちに見いだされる。1563年(永禄6)武田氏が行った恵林寺領検地の場合,大名と主従関係を結んでいる軍役衆と,結んでいない非軍役衆(惣百姓)とに区別し,軍役衆には従来からの本年貢分にあたる本成方を検地の対象から外し,検地増分にあたる踏出分も全額年貢免除とするのに対し,非軍役衆である惣百姓の場合,本成方・公事諸役・踏出分を総計し,その4割を年貢免除とした。このように異なった方式をとるにあたっては,それ以前の由緒のいかんによらず,検地施行の時点で武田氏と主従関係があれば軍役衆,なければ惣百姓と認定されたのである。…

※「軍役衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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