…しかし,民衆の要望が強かったために,その後,ふたたびしだいに盛んとなり,安政年間(1854‐60)には〈はなしの席〉が172軒になった。《大江戸都会荒増勘定》には〈軍談の席二百二十軒,はなしの席百七十二軒〉とあり,この約400軒の寄席に1日平均それぞれ100人の入場者があり,1日の売上金は合計300両を超えた。なお,講釈の席は〈釈場(しやくば)〉ともいわれ,〈夜講(やこう)〉も行われた。…
※「軍談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」