辺塚村(読み)へつかむら

日本歴史地名大系 「辺塚村」の解説

辺塚村
へつかむら

[現在地名]佐多町辺塚

こおり村の東に位置し、三方を山に囲まれ、南は海に面する。辺塚川は地内を流れて海に注ぐ。北東端に稲尾いなお(九五九メートル)がそびえる。辺津賀・返津加とも記される。集落として村山むらやま上原うえばい萩平はぎひら中郷ちゅうごう中村なかむら野中のなか熊之細くまのほそ沢渡さわわたりどうはら打詰うちづめなどがある。中世は禰寝ねじめ南俣みなみまたのうちにあった。正元元年(一二五九)閏一〇月五日の建部清綱譲状(池端文書)によると、清綱の子息頼綱に用松もちまつ(現根占町)水田などとともに山野四ヵ所が譲られており、その山野の四至に「東限田代境 西限波伊立山谷登見方山谷 北限直世境 南限辺津加大道菖蒲経石」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む