辺法寺村(読み)へんぼうじむら

日本歴史地名大系 「辺法寺村」の解説

辺法寺村
へんぼうじむら

[現在地名]亀山市辺法寺町

亀山城の北にあたる。原尾わらび村の東に続く安楽あんらく川流域部の村で、安楽谷五郷の一。「吾妻鏡」文治三年(一一八七)四月二九日条に「遍法寺領広元」とみえ、この年三月の公卿勅使に際して駅家雑事を勤仕しなかった荘園の一に、辺法寺庄の名があげられている。辺法寺は延暦一五年(七九六)弘法大師開基と伝え、平安末期以来、伊藤景清(上総悪七兵衛)が大師作の不動明王に帰依し、不動院を興して荘園を寄せたという(三国地志)四方に堀をめぐらせた景清屋敷跡といい伝えられてきた古跡がある(九九五集)が、野元坂やげんざか館として、昭和四四年(一九六九)に発掘調査された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報