辺野古村
ひぬくむら
久志間切の南西に位置し、西は久志村。北に辺野古岳(三三二メートル)・久志岳(三三五・一メートル)を抱え、標高一五〇メートル以下にはなだらかな丘陵地が広がる。この地域の水を集めて辺野古川と美謝川が太平洋へと流れ、辺野古川は下流左岸に沖積低地を造り、そこに集落が立地する。間切所属の変遷は久志村と同じ。集落の故地は北のウェーザトゥ(親里原)とされ、近世に現在のヒヌク(辺野古原)に移動したとされる。正保国絵図に「へのき崎」(現在の辺野古崎)が記され、同図に記載される一里塚は地元ではイキリヅカとよばれて現存するが、現在は道路整備により移動・復元されている。名護・久志の間切番所間の宿道に設けられていた。絵図郷村帳に金武間切「へのき村」とみえる。琉球国高究帳でも同様に記され、高頭四三石余、うち田四〇石余・畠二石余。「琉球国由来記」で辺野古村と記され、当村のミヤチ嶽(神名オセジ御イベ)、マシラテ嶽(神名ツカサノ御イベ)と神アシアゲは久志ノロの管轄。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 