日本歴史地名大系 「久志間切」の解説
久志間切
くしまぎり
現在の名護市南部および
〔間切の創設と所属村の変遷〕
康熙一二年(一六七三)名護間切から一〇ヵ村、金武間切から二ヵ村を割いて久志間切が創設され(「球陽」尚貞王五年条)、当初は久志・王一四年条)。これにより、近世末の久志間切は一三ヵ村であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現在の名護市南部および
康熙一二年(一六七三)名護間切から一〇ヵ村、金武間切から二ヵ村を割いて久志間切が創設され(「球陽」尚貞王五年条)、当初は久志・王一四年条)。これにより、近世末の久志間切は一三ヵ村であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報