朝日日本歴史人物事典 「辻蘭室」の解説
辻蘭室
生年:宝暦6.11.26(1756.12.17)
江戸後期の蘭学者。公家・久我家の臣。諱は章従,号は蘭室,孜軒。医師村田玄隆の次男。京都生まれ。15歳で久我家の医師辻章業の養子となる。寛政4(1792)年大槻玄沢に書簡を通じ教えを受けて蘭語研究,翌年主君久我信通の死により譴責を受ける。部門別(天文,人品など)の蘭日辞典『蘭語八箋』を起稿(40冊,未刊),蘭学者間にも名を知られた。儒学は宋学から堀河派に転じ,語学はオランダ語,マレー語,ギリシャ語,ロシア語,朝鮮語から梵語におよび,その他天文,蘭文法,医学博物からトンネルまで広く浅く研究,製薬研究はやや深い(京大蔵『蘭室伝記史料』1~9による)。文化13(1816)年出羽守,天保1(1830)年正4位下。人物は柔和に見受けられ,蘭語研究では京都の先駆者であり,諸学におよぶ研究が当時の学風の一端を示すと思われる。<参考文献>山本四郎「辻蘭室伝研究」(有坂隆道編『日本洋学史の研究』1)
(山本四郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報