道之下村(読み)どうのしたむら

日本歴史地名大系 「道之下村」の解説

道之下村
どうのしたむら

[現在地名]吉川町道之下

北は荒戸川沢あらとこうぞう村、東は福平ふくだいら村、南は長坂ながさか村と接する。蒲生田かもだ越とよばれる山道がある。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「柿崎分此外五方分たふの下 中」とみえ、本納四六石九斗九升・縄高二一八石二斗四升四合、家八軒・二九人とある。正保国絵図に「道下村百八十四石余」とみえる。天和三年郷帳によれば高二四〇石九斗余。享保二年(一七一七)糸魚川藩領に属し幕末に至る。同九年の蝋実定納村々割付帳(石野武教氏蔵)によると、山蝋実一升六合・里蝋穂一四貫七九〇匁を割付けられている。宝暦七年(一七五七)の田地反別書訳帳(明治大学刑事博物館蔵)によれば、当村明善めいぜん寺庄屋九左衛門から江島えじま新田村(現柿崎町)縫右衛門宛で、合計御蔵米四石六斗余・町米七斗余・大豆四斗余の割渡しが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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