道修町四丁目(読み)どしようまちよんちようめ

日本歴史地名大系 「道修町四丁目」の解説

道修町四丁目
どしようまちよんちようめ

[現在地名]東区道修町四丁目

丼池どぶいけ筋を境に道修町三丁目の西にある。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数二五・役数三五半役で、うち年寄分・会所分・北組惣会所付屋敷分の各一役が無役。年寄は膏薬屋太右衛門。惣会所は平野ひらの町三丁目にあったが、その背中合せになる当町の屋敷が付屋敷となっていたと思われる。道修町薬種仲買仲間の居住地ではなかったので、薬種屋があったとしても脇店か合薬屋であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む