道原村(読み)どうばるむら

日本歴史地名大系 「道原村」の解説

道原村
どうばるむら

[現在地名]小倉南区道原

春吉はるよし村の南、むらさき川の最上流域にあたる。元和八年人畜改帳に道原村とみえ、御蔵納分の高二〇〇石、給人三人分の高二六〇石余の二筆で、家数八〇、人数一四八(うち百姓九・名子二二・山ノ口一・人留一・炭焼五)、牛二五・馬二二。郷村高帳では高五〇三石余、うち新田高六四石余。幕末の各村覚書では本高四三八石余、田二四町八反余・畠六町八反余、物成三〇九石余、竈数九八・家数一四七・人数四五二、牛四七・馬三三、菅王社、浄念じようねん寺・全龍院(現廃寺)など。


道原村
どうばらむら

[現在地名]焼津市道原

中根なかね新田の東に位置し、木屋きや川の左岸に立地する。北は祢宜島ねぎしま村で、同村を挟んで北方に飛地がある。寛永一九年(一六四二)の田中領郷村高帳に村名がみえ、高一三二石余、田中藩領。以後幕末まで同藩領。同郷村高帳には益津ましづ郡所属とあるが、寛文四年(一六六四)の西尾忠成領知目録(寛文朱印留)では志太しだ郡に属し、以後は同郡に所属。元禄郷帳では高一九六石余。旧高旧領取調帳では高四三五石余、うち大井おおい八幡社・曹洞宗永明えいめい寺除地各一石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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