日本歴史地名大系 「那久志里神社跡」の解説 那久志里神社跡なぐしりじんじやあと 三重県:亀山市田村那久志里神社跡[現在地名]亀山市田村町 名越旧村社で、祭神は長白羽神・瀬織津姫命の二柱。明治四一年(一九〇八)能褒野(のぼの)神社に合祀され、その跡は畑地となっている。「延喜式」神名帳「鈴鹿郡十九座並小」の筆頭に「那久志里神社」とある。「亀山地方郷土史」は名越(なごし)の集落東口に比定している。「神名帳考証」は那久志里神社の祭神を弟橘媛と伝え、那久志の里の古名を残すという名串(なぐし)(名越)の地には日本武尊にちなむ伝承をもつ前方後円墳の能褒野古墳があり、弟橘媛がその妃であったこと、中世以後、六月晦日に名越の祓の神事が行われてきたことなどを考え合せると、那久志里神社は名越にあったと想定して差支えないようである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報