能褒野古墳(読み)のぼのこふん

日本歴史地名大系 「能褒野古墳」の解説

能褒野古墳
のぼのこふん

[現在地名]亀山市田村町 名越

鈴鹿川の支流御幣おんべ川と安楽あんらく川が合流する地点の東方標高四八メートルの台地西端部に位置する全長九〇メートルの前方後円墳おう塚とも丁字ちようじ塚ともよばれている。径五四メートル、高さ九・五メートルの後円部に長さ三六メートル、幅四〇メートル、高さ六・五メートルの前方部が南東に向かって築かれている。内部構造は不明であるが、墳丘には円筒埴輪列があり、前方部は長方形古式の墳形である。鈴鹿川流域の古墳としては最大の規模で、周辺に十数基の陪塚(円墳)をもつ。

「古事記」によれば東国から大和へ帰還する途中、病を得た倭建命は能褒野に至り、「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」という望郷の歌を残して没した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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