能褒野(読み)ノボノ

デジタル大辞泉 「能褒野」の意味・読み・例文・類語

のぼの【能褒野】

三重県鈴鹿市西方から亀山市にかけての台地古称日本武尊やまとたけるのみこと東征帰途死去したといわれる地。

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精選版 日本国語大辞典 「能褒野」の意味・読み・例文・類語

のぼの【能褒野・能煩野】

  1. 三重県鈴鹿市の西方、亀山市にかけての台地の古称。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途ここで薨去したという。亀山市田村町に能褒野陵がある。
    1. [初出の実例]「其より幸行して能煩野(ノボの)に到りましし時」(出典古事記(712)中)

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百科事典マイペディア 「能褒野」の意味・わかりやすい解説

能褒野【のぼの】

能煩野とも。三重県鈴鹿市と亀山市にわたる洪積台地。関西本線加佐登(かさど)駅の北方にあたる。日本武尊が東征ののち,ここで没したという。付近には尊にいわれのある鈴鹿市の白鳥塚古墳や亀山市の能褒野古墳や,尊をまつる加佐登神社がある。
→関連項目亀山[市]古市

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「能褒野」の意味・わかりやすい解説

能褒野
のぼの

三重県北部、鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)の東麓(とうろく)、御幣(おんべ)川と内部(うつべ)川の間の扇状地の扇端近く、鈴鹿、亀山両市に広がる洪積台地。記紀には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征からの帰途、この地で病死し、御陵に葬られたと記される。1879年(明治12)宮内庁により王塚とよばれる前方後円墳(亀山市田村町)が尊の能褒野御陵に指定され、その北東に1895年、尊と弟橘媛(おとたちばなひめ)を祀(まつ)る能褒野神社がつくられた。なお、鈴鹿市にある白鳥(しらとり)塚古墳(県史跡)も尊の御陵と伝えられる。

[伊藤達雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「能褒野」の意味・わかりやすい解説

能褒野
のぼの

三重県亀山市東部から鈴鹿市西部にかけて広がる鈴鹿川北岸の洪積台地。台地の先端,鈴鹿川支流安楽川とその支流御幣 (おんべ) 川の合流点近くに,16の陪塚を配する長径約 200mの前方後円墳がある。日本武尊が東征の帰途,この地で没したという『古事記』伝説に基づき,1879年,内務省はこの王塚と呼ばれる古墳 (史跡) を日本武尊の墓と指定し,能褒野御陵と名づけた。 95年隣接して武尊をまつる能褒野神社も創設された。付近は伊勢茶の産地。

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