那古野城跡(読み)なごやじようあと

日本歴史地名大系 「那古野城跡」の解説

那古野城跡
なごやじようあと

[現在地名]中区二の丸

今川義元の父氏親は清須きよす(現西春日井郡清洲町)斯波氏を監視する城を築くため、末子氏豊に那古野庄の一画、いわゆる名古屋台の北辺の丘陵を選定させ、老臣庵原安房守に縄張りをさせたという。これが柳之丸とよばれた那古野城である。築城は大永の初めと考えられる。当時のこの地は、のちの名古屋城二の丸、明治に入って陸軍歩兵第六連隊の所在した地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む