日本歴史地名大系 「郡中新田」の解説 郡中新田ぐんちゆうしんでん 大分県:宇佐市旧長洲町地区郡中新田[現在地名]宇佐市郡中新田神子山(みこやま)新田の西にあり、西は高砂(たかさご)新田。文政年中(一八一八―三〇)に住江(すみのえ)村北方地先の周防灘を埋立て成立した新田で、神子山新田などと同じく日田の郡代塩谷正義の見立による。上田(うえだ)村庄屋俊蔵を惣代とした宇佐郡中請けで新田内の字名に四日市組(よつかいちぐみ)・上田組(うえだぐみ)・正覚寺組(しようかくじぐみ)・中原組(なかはるぐみ)・今成組(いまなりぐみ)・原口組(はるぐちぐみ)など開発に携わった宇佐郡諸村の名がある。着工は文政九年で「禅源寺年代記録」によると「百姓ニ被仰付也、里ハ六歩、山中ハ四歩」の出夫で、夫代は当初「壱石高ニ手形米五升八合四勺ノ出夫」であったものが、翌一〇年には「山中方出夫代壱石ニ手形米壱斗六升」と上っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by