デジタル大辞泉 「高砂」の意味・読み・例文・類語
たかさご【高砂】[地名・曲名]
謡曲。脇能物。世阿弥作。
に基づく種々の邦楽曲。長唄・一中節など。
台湾の異称。
たか‐さご【高▽砂】
2 結婚披露宴で、新郎・新婦の座る席。謡曲の高砂にちなむ。
[補説]地名・曲名別項。→高砂
( 1 )「五代集歌枕‐上」は、「山之惣名」としての高砂を詠んだ歌例と「所名」としての例を並記して、「たかさごのをのへ 人伝云、高砂云、山之惣名也云々。〈略〉たかさごとは、すべて山を云と古人説也。しかはあれど所名につきてかはる也」といっている。両者の識別は個々の歌ごとに検討するしかなく、識別できないものも多い。
( 2 )「古今集‐序」に「たかさご、住之江の松も相生のやうにおぼえ」と住之江と並ぶ松の名所として記されているように、松をとりあわせて詠んでいる例は、歌枕としての高砂であると考えられる。
加古川の河口部、現高砂町から加古川市
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
兵庫県南部,播磨灘に臨む重工業都市。東は加古川市,西は姫路市に接する。1954年高砂町,荒井村,曾根町,伊保村が合体,市制。人口9万3901(2010)。町の発展は池田輝政による加古川水運の改修と港の整備により始まり,播磨の穀倉地帯を背後にもつことから姫路藩の年貢米の集散地,内海航路の拠点として栄えた。明治中期,鉄道(山陽本線)が市内を避けたことから発展が遅れたが,加古川の水に恵まれているのでしだいに製紙,紡績などの工場が立地し,昭和に入ると機械,化学,窯業などがつづいた。また市内荒井の干拓地は軍用地となったが,第2次大戦後民間に払い下げられ三菱重工業,神戸製鋼所など大企業が進出し,播磨臨海工業地域の中核をなす工業都市となっている。一方,謡曲《高砂》で知られる海岸線の松林はほとんど姿を消し,埋め立てられた海水浴場の代りに人工海岸がつくられている。JR山陽本線,山陽電鉄線が通る。
執筆者:小森 星児
播磨国加古郡の港町として発展し,中世には瀬戸内播磨五泊の一つであった。もと加古川河口左岸にあったが,砂州の発達で港の機能が失われたため,1601年(慶長6)姫路藩池田輝政は右岸に位置を移して町の建設に着手し,10年高砂城を築いた。18年(元和4)には城は廃され,そのころ東西380間,南北360間の地域に碁盤目の町割りができている。加古川の支流高砂川沿いと,新たに開削した南堀川沿いの地区は港町,町中央の南北の筋本町通りは商人町,その西は職人町,南は漁師の町をなした。播州米,長束(ながそく)木綿などを積み出し,干鰯(ほしか)などを移入した。1773年(安永2)の人口は8097人。港町にふさわしく,江戸初期にはこの町から朱印船貿易の天竺徳兵衛が出,江戸中期には播州産木綿糸をより合わせて織った松右衛門帆の発明者工楽(くらく)松右衛門が出ている。彼は択捉(えとろふ)島築港の功により幕府から〈工楽〉の苗字を与えられたものである。
執筆者:八木 哲浩
松を景物として歌に詠まれることが多く,《古今集》仮名序に〈高砂,住の江の松も相生(あひおひ)のやうにおぼえ〉とある。この〈相生の松〉の後身という松が高砂神社境内にある。《古今集》巻十七には藤原興風の歌〈誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに〉がある。謡曲《高砂》は,阿蘇から上京の神主が高砂の浦で尉と姥(実は住吉と高砂の松の精)と出会い,松の神秘を語るのを聞くというもので,祝の席で謡われる。
執筆者:奥村 恒哉
(1)能の曲名。脇能物。神物。世阿弥作。シテは住吉明神の神霊。九州阿蘇の宮の神主(ワキ)が京に上る途中,播磨の高砂の浦に立ち寄ると,松の木陰を清める老人夫婦(前ジテ・ツレ)に出会う。老人は,この木が相生(あいおい)の松であると教え,自分は摂津の住吉の者で,この姥(うば)が当地の者だからいわれを詳しく知っているという。この夫婦の別居を神主は不審に思うが,老人たちの説明によると,妹背の仲は住む所などにかかわりがなく,高砂の松と住吉の松も,相生の松といって夫婦の松なのだという。この二つの松は,《万葉集》《古今集》の2集にたとえられ,松の葉の栄えは和歌の言の葉の栄えを意味し,つまりは天下泰平の象徴だというのである。老人はなお松の徳をさまざまに物語り(〈クセ〉),自分たちこそその松の精だと名を明かし,先に住吉へ行って待っていると言い残して小舟で沖へ出てしまう。神主が浦の男(アイ)に子細を尋ねると,男も松のめでたさをたたえ,自分は舟を新造したので神職の方に乗りぞめをしてもらいたいと頼む。神主がその舟で住吉へ行くと,住吉の明神(後ジテ)が現れて壮快な舞を舞い(〈神舞(かみまい)〉),天下泰平を祝福する(〈ロンギ〉)。
脇能は祝言専一に作られていておもしろみに欠ける能が多く,またそれが本旨に合致してもいるのだが,この能は変化に富み作曲もおもしろいので上演が多い。長寿の夫婦の能というところから,婚礼などの祝儀の小謡に,〈四海波静かにて……〉その他の部分が謡われる。ただし有名な〈高砂やこの浦舟に……〉の謡はワキの謡なので,正式の祝言謡とはされない。終曲部分の〈千秋楽には民を撫で……〉の謡は,付祝言(つけしゆうげん)として常用される。
執筆者:横道 万里雄(2)邦楽,日本舞踊の一系統。能の《高砂》によった祝儀曲。(a)一中節《高砂松の段》。初世都一中作曲。年代未詳。能の前半によった作で,能にもっとも近い歌詞。長編の一部か。(b)長唄《女夫松(みようとまつ)高砂丹前》。通称《高砂丹前》。1785年(天明5)初世杵屋正次郎作曲。前半は能により,後半に槍踊(やりおどり),松尽しが入る。古風な曲調。(c)長唄《新曲高砂》。1916年長唄研精会200回記念曲。半井桃水作詞。(d)地歌《高砂》。戸川勾当調,三下り物。能の待謡の部分。(e)箏曲《新高砂》。明治初年名古屋の寺島花野作曲。歌詞は(d)に同じ。別名《雲井高砂》。(f)山田流箏曲《高砂》。作曲年代未詳。入門曲。(g)うた沢《高砂》。両派。三下り。年代未詳。
なお,雅楽の催馬楽(さいばら)に《高砂》がある。律の曲。非現行曲で,高砂の尾上(おのえ)に立つ白玉椿・玉柳を歌ってあるが,もとは恋愛歌であるとか,家ほめ歌であるとか,種々の解釈がある。
執筆者:竹内 道敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
兵庫県南部、播磨灘(はりまなだ)に面する市。1954年(昭和29)加古(かこ)郡高砂町と荒井村、印南(いんなみ)郡曽根(そね)町と伊保(いぼ)村が合併して市制施行。1956年印南郡阿弥陀(あみだ)村と米田(よねだ)町の一部、1957年同郡北浜村を編入。市域の大部分は東を限る加古川の三角州からなる平坦(へいたん)地で、北西部に石英粗面岩の丘陵がある。北からJR山陽本線、国道2号とバイパス、250号、山陽電鉄などがほぼ東西に走るが、南北方向からの道路が少なく、朝夕の交通が渋滞する。海上輸送は貨物が中心で、東播磨港の高砂本、高砂西、伊保、曽根の4港区がある。開発は早く、丘陵地を中心に無土器時代からの遺跡がある。南部の臨海部を占める中心地区の高砂は、『万葉集』などに南毘都(なびつ)島とある所で、のちに陸続きとなった。曽根の松、高砂の松、尾上(おのえ)の松で知られた砂丘も平安時代には陸地ではなかったと思われる。中世になって皇室領の高砂御厨(みくりや)、摂関家領の伊保荘(しょう)などが成立する。高砂の港町としての発展は、加古川の流路変更で対岸の尾上(加古川市)あたりが港の機能を失ってからで、姫路藩主池田輝政(てるまさ)はこれにかわる港として、堀川を開削して加古川の水を導き新港を築いた。その後、加古川流域の年貢米の集散地となり、また瀬戸内海航路の寄港地として繁栄した。明治以後は三菱(みつびし)製紙、鐘淵(かねがふち)紡績(のちカネボウ)の進出に始まり、第二次世界大戦後は電力、鉄鋼、化学、食品などの工場が集中し、高砂工業公園が建設されるなど、かつての白砂青松の地も屈指の重化学工業地域となり、播磨工業地域の中核を形成、人口も急増した。地場産業の石材産出は盛んであるが、農業、水産業は年々減少している。
謡曲『高砂』で知られる高砂神社境内の「相生の松(あいおいのまつ)」は現在5代目である。浄土宗十輪寺には絹本著色五仏尊像(国の重要文化財)があり、境内には豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮出兵に徴発された水夫(かこ)の供養塔がある。生石(おうしこ)神社の御神体である巨大な切石(きりいし)「石の宝殿」は謎(なぞ)の石造工作物として知られる。県立高砂海浜公園は失われた海浜を人工的に復原したものである。市の北部には鹿島・扇平自然公園がある。面積34.38平方キロメートル、人口8万7722(2020)。
[大槻 守]
『山本徹也著『近世の高砂』(1951・高砂市)』▽『『高砂市史――曽根編』(1964・高砂市)』▽『『高砂市史――伊保編』(1969・高砂市)』▽『『高砂町史誌』(1980・高砂市)』
能の曲目。初番目・脇(わき)能物。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)作。古い名称は「相生(あいおい)」。『古今集』の序の「高砂、住江(すみのえ)の松も相生のやうに覚え」ということばを核に、和歌の徳と、夫婦の愛と、長寿の喜びと、国の繁栄の永続を祝い、真の脇能、正式な祝福の能とされ、また能の代表作として昔から愛されてきた。江戸時代には、徳川家の旧姓が松平であったため、松にちなむこの能は、とくに重んじられた。将軍家の正月祝いの行事として、この能の「四海波(しかいなみ)」とよばれる「四海波静かにて。国も治まる時津風(ときつかぜ)。枝を鳴らさぬ御代(みよ)なれや」の一節を、観世大夫(かんぜだゆう)が平伏して謡うしきたりがあった。
肥後(ひご)国(熊本県)阿蘇(あそ)の宮の神主(ワキ、ワキツレ)が登場し、播州(ばんしゅう)(兵庫県)高砂の浦に着く。そこへ木陰を清める老人夫婦(前シテとツレ)が現れて松のいわれを述べる。尉(じょう)と姥(うば)は高砂と住江と場所を隔てても通い合う相生の松の夫婦愛を語り、われわれがその2人、住江で待つと告げて沖に消える。新造の舟に乗って神主たちは「高砂やこの浦舟に帆を上げて」と船出をし、住江に着く。住吉(すみよし)明神(後シテ。神松の精とする流儀も)が現れて、さっそうと神舞を舞い、祝福を与えて終わる。後シテは昔は老体の神であり、やがて荒々しい神の演出となり、現代のように憂愁味を帯びた若い神の姿になったのは室町時代の末とされる。長唄(ながうた)、地唄(じうた)、箏(そう)曲、一中節(いっちゅうぶし)、うた沢などに高砂物とよばれる系列を生んでいる。
[増田正造]
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