佐竹義舜(読み)さたけ よしきよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐竹義舜」の解説

佐竹義舜 さたけ-よしきよ

1470-1517 室町-戦国時代武将
文明2年生まれ。佐竹義治(よしはる)の子。常陸(ひたち)(茨城県)太田城主。一族の山入義藤(やまいり-よしふじ)・氏義(うじよし)父子にうばわれた太田城を,永正(えいしょう)元年にうばいかえし,山入氏をほろぼした。のち家法をさだめ,領国統一拡大につとめた。佐竹氏中興の祖といわれる。永正14年3月13日死去。48歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の佐竹義舜の言及

【佐竹氏】より

…常陸出身の中・近世の武家。清和源氏(図)。新羅三郎義光が兄義家に協力するため常陸介として下向し,子義業が久慈郡佐竹郷を領有,孫昌義が母方について土着し,奥七郡を支配して佐竹冠者とよばれるようになった。昌義の子と思われる義宗は下総国相馬御厨の預職に任命されている。源頼朝挙兵に当たっては,秀義が平氏に荷担して頼朝包囲に加わったが,1180年(治承4)逆に頼朝によって金砂山に攻められ,奥州に敗走,父祖の地を失った。…

※「佐竹義舜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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