朝日日本歴史人物事典 「都治月丹」の解説
都治月丹
生年:慶安1(1648)
江戸中期の剣客。近江国甲賀郡馬杉(滋賀県甲南町)生まれ。はじめは辻と書いた。諱 は資茂,通称を兵内。月丹,無外と号した。13歳で京に上り,山口卜真斎に剣を学び免許皆伝。武者修行の末に江戸へ出て,剣術指南をしながら工夫を積み,45歳で不動の境地を得て,麻布吸江寺に参禅,石潭禅師から「一法実無外・乾坤得一貞(下略)」の偈を与えられ,以後,無外流を唱えた。宝永4(1707)年土佐(高知)藩主山内豊房に剣術を教授,以来,江戸土佐藩邸に出入りを許され,のち月丹の曾孫資幸が山内家に抱えられて,無外流は土佐藩で不動の地位を占めた。<参考文献>山田次郎吉『日本剣道史』,「武術流祖録」(『武術叢書』),「撃剣叢談」(同)
(中井一水)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報