醍醐天皇陵(読み)だいごてんのうりよう

日本歴史地名大系 「醍醐天皇陵」の解説

醍醐天皇陵
だいごてんのうりよう

[現在地名]伏見区醍醐古道町

醍醐山の西方にある。後山科のちのやましな陵ともいう。

醍醐天皇は宇多天皇の第一皇子、母は藤原胤子(高藤の女)。律令政治終末期に在位し、宇多天皇の「寛平の御遺誡」に従い、菅原道真や藤原時平を重用し、のち延喜の治と称される公家理想の政治を行った。

延長八年(九三〇)九月二九日、清涼殿せいりようでんで没す(扶桑略記)。「貞信公記」同年一〇月一〇日条に「亥四剋奉於酉酉寺北、笠取山西方、四面八十町、東西八丁、南北十丁、穴深九尺、方広三丈、校倉高四尺三寸、従広各一丈、一説云十一日、寅二剋令着於山陵、同日戌二刻奉入於御倉云々」とあり、「醍醐雑事記」に陵の四至を記して、

<資料は省略されています>

とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

〘 名詞 〙 ( 牽牛と織女の別れを悲しむ涙雨の意 ) 陰暦七月七日に降る雨。せいるいう。《 季語・秋 》[初出の実例]「歳時雑記曰、〈略〉七日雨、則曰二洒涙雨一」(出典:俳諧・滑稽雑談(1713)七...

洒涙雨の用語解説を読む