山科(読み)ヤマシナ

百科事典マイペディアの解説

山科【やましな】

山城国宇治郡の北部,現在の京都市東部にある山科盆地一帯をさす古代以来の地名。ほぼ同市山科区域にあたる。古代の山科盆地には山科・小野・余部(あまるべ)の3郷があったが(《和名抄》),12世紀半ばころまでに小野・余部地域をも含めて山科とよぶようになった。平城京の時代には北陸道(のちの奈良街道にほぼ合致)が通って山科駅が置かれ(804年停止),平安京造営後は東海道の要衝となる。盆地の南部,西野山(にしのやま)に中臣(なかとみ)の地名があり,縄文時代から平安時代までの複合遺跡〈中臣遺跡〉が所在する。遺跡の中心は古墳出現期前後および古墳時代後期の集落跡で,古代豪族中臣氏との関連が指摘されている。中臣氏は早くから山科に住み,中臣鎌子(藤原鎌足)は当地に陶原(すえはら)館とよばれる邸宅を構えていた。この館が山科精舎となり,のちに奈良興福寺(別名山階寺)へと発展した。中大兄(なかのおおえ)皇子(天智天皇)が667年山科に隣接する近江に大津京(近江大津宮)を営んだのも,山科における中臣氏の勢力をたのんでのことであろう。天智天皇は山科に葬られている(天智天皇山科陵)。平安遷都後は近郊の要地として開けていき,寺院が多く建立された。なかでも安祥寺,元慶(がんぎょう,がんけい)寺,勧修(かんしゅう)寺,随心(ずいしん)院などは寺格も高く勢力を誇り,のちの時代まで山科の歴史に深くかかわった。1167年山科大宅(おおやけ)に後白河上皇が〈山科新御所〉を造営,御所とその周辺所領が同上皇の寵妃(ちょうひ)丹後局高階栄子(たかしなえいし)を経てその子冷泉(山科)教成(のりしげ)に伝領され,山科の大部分は皇室を本所とし,山科家領家職をもつ皇室領山科小野荘(山科荘)として推移する。南北朝期以降は再編されて〈山科七郷〉と総称される郷村が形成されるが,領有関係に変化はなく,室町時代から戦国時代にかけて,朝廷の山科七郷への賦課や幕府の命は,山科家を通じて処理されている。中世期の山科でいまひとつ特記すべきことは,1478年の蓮如による山科本願寺の建立で,1532年に焼亡するまで本願寺とその寺内町は,浄土真宗本願寺派の拠点として栄えた。今も土塁などが残り,一角に蓮如の墓がある。近世には山科家の支配を離れるが,ほとんどの村(17村・6000余石)は皇室領(禁裏御料)であった。自治的結合は消滅したが山科七郷の組織はうけつがれ,皇室との密接な関係は継続し,ことあるごとに郷士が御所に勤仕し,諸種の負担をも負った。幕末・維新期には朝廷方についてさまざまに活躍している。1889年山科村が成立,1926年町制施行,1931年京都市東山区の一部となるが,1976年山科区として分離。
→関連項目四宮河原

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世界大百科事典 第2版の解説

やましな【山科】

山城国宇治郡北方を占め,京より大津に向かう東海道の間にある地名。北西を東山連峰,東を逢坂山(おうさかやま)に囲まれた山科盆地を占め,ほぼ現在の京都市山科区に該当する地域。縄文時代から古墳時代にかけての中臣(なかとみ)遺跡があり,早くから人間が住んでいたことがわかる。山科古窯跡群は7世紀初頭の須恵器窯で,藤原(中臣)鎌足邸の〈山科の陶原(すえはら)〉の地と推定され,中臣氏が領有していたと思われる。天智天皇が〈山科野〉で猟をしたり,陵墓が造営されたことは,中臣氏との関係をうかがわせる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山科
やましな

京都市東部の地域。山科区を構成する。京都盆地と東山(ひがしやま)丘陵で隔てられた山科盆地の北部を占め、東は醍醐(だいご)山地が連なる。大津市との境にある逢坂(おうさか)山峠は、京都から東へ向かう唯一の通路で、古くから東海道が通じ、現在もJR東海道本線、東海道・山陽新幹線、JR湖西線、京阪電鉄京津線、名神高速道路、国道1号が逢坂山を越える。そのほか、市営地下鉄東西線も通じている。
 古くは遊猟の地で、貴紳の山荘が営まれ、安祥寺、勧修(かじゅう)寺、随心(ずいしん)院などの寺院が建立された。1478年(文明10)蓮如(れんにょ)が山科本願寺を造営し、寺内町八町が設けられたが、1532年(天文1)六角定頼(ろっかくさだより)と法華(ほっけ)宗徒に焼打ちされ、のちに東西両本願寺の山科別院が再建された。明治末ごろまでは純農村で、山科ナスの栽培など近郊農業が営まれたが、1912年(大正1)京津電車(現京阪電鉄京津線)が開通して京都市との結び付きが強まり、1931年(昭和6)山科町は京都市東山区に編入された。第二次世界大戦後は急速に宅地化が進み、現在では大部分が市街地となり、1976年には東山区から分かれて山科区が成立した。山科盆地北部に天智(てんじ)天皇陵、南部に随心院、勧修寺などがある。[織田武雄]
『『京都府山科町誌』(1930・山科町)』

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