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山科 ヤマシナ

百科事典マイペディアの解説

山科【やましな】

山城国宇治郡の北部,現在の京都市東部にある山科盆地一帯をさす古代以来の地名。ほぼ同市山科区域にあたる。古代の山科盆地には山科・小野・余部(あまるべ)の3郷があったが(《和名抄》),12世紀半ばころまでに小野・余部地域をも含めて山科とよぶようになった。
→関連項目四宮河原

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世界大百科事典 第2版の解説

やましな【山科】

山城国宇治郡北方を占め,京より大津に向かう東海道の間にある地名。北西を東山連峰,東を逢坂山(おうさかやま)に囲まれた山科盆地を占め,ほぼ現在の京都市山科区に該当する地域。縄文時代から古墳時代にかけての中臣(なかとみ)遺跡があり,早くから人間が住んでいたことがわかる。山科古窯跡群は7世紀初頭の須恵器窯で,藤原(中臣)鎌足邸の〈山科の陶原(すえはら)〉の地と推定され,中臣氏が領有していたと思われる。天智天皇が〈山科野〉で猟をしたり,陵墓が造営されたことは,中臣氏との関係をうかがわせる。

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大辞林 第三版の解説

やましな【山科】

姓氏の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山科
やましな

京都市東部の地域。山科区を構成する。京都盆地と東山(ひがしやま)丘陵で隔てられた山科盆地の北部を占め、東は醍醐(だいご)山地が連なる。大津市との境にある逢坂(おうさか)山峠は、京都から東へ向かう唯一の通路で、古くから東海道が通じ、現在もJR東海道本線、東海道・山陽新幹線、JR湖西線、京阪電鉄京津線、名神高速道路、国道1号が逢坂山を越える。そのほか、市営地下鉄東西線も通じている。
 古くは遊猟の地で、貴紳の山荘が営まれ、安祥寺、勧修(かじゅう)寺、随心(ずいしん)院などの寺院が建立された。1478年(文明10)蓮如(れんにょ)が山科本願寺を造営し、寺内町八町が設けられたが、1532年(天文1)六角定頼(ろっかくさだより)と法華(ほっけ)宗徒に焼打ちされ、のちに東西両本願寺の山科別院が再建された。明治末ごろまでは純農村で、山科ナスの栽培など近郊農業が営まれたが、1912年(大正1)京津電車(現京阪電鉄京津線)が開通して京都市との結び付きが強まり、1931年(昭和6)山科町は京都市東山区に編入された。第二次世界大戦後は急速に宅地化が進み、現在では大部分が市街地となり、1976年には東山区から分かれて山科区が成立した。山科盆地北部に天智(てんじ)天皇陵、南部に随心院、勧修寺などがある。[織田武雄]
『『京都府山科町誌』(1930・山科町)』

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