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清涼殿 せいりょうでん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

清涼殿
せいりょうでん

平安京内裏のうち,天皇の日常の居所。南東に紫宸殿,南に校書 (きょうしょ) 殿,東に仁寿殿 (じじゅうでん) がある。東面して建てられ,天皇の日中の御座所である昼御座 (ひのおまし) や寝所の夜御殿 (よるのおとど) ,朝餉 (あさがれい) の間などがある。

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デジタル大辞泉の解説

せいりょう‐でん〔セイリヤウ‐〕【清涼殿】

平安京内裏十七殿の一。紫宸殿(ししんでん)の北西、校書殿(きょうしょでん)の北にあり、東面する入母屋造(いりもやづく)り九間四面の建物。天皇が日常住んだ所で、昼(ひ)の御座(おまし)夜(よる)の御殿(おとど)朝餉(あさがれい)の間石灰(いしばい)の壇弘徽殿(こきでん)の上の御局(みつぼね)、藤壺(ふじつぼ)の上の御局(みつぼね)、台盤所(だいばんどころ)殿上(てんじょう)の間萩(はぎ)の戸などの部屋がある。四方拝叙位除目(じもく)などの公事(くじ)も行われた。せいろうでん。

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百科事典マイペディアの解説

清涼殿【せいりょうでん】

内裏(だいり)の建物の一つ。〈せいろうでん〉ともいう。紫宸殿(ししんでん)の北西に隣接。9間4面の素木(しらき)造,屋根は檜皮葺き(ひわだぶき),入母屋(いりもや)造。
→関連項目飛鳥部常則荒海障子御湯殿御湯殿上乞巧奠京都御所狛犬昆明池障子左義長地下四方拝滝口殿上人堂上家塗籠藤原信実

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世界大百科事典 第2版の解説

せいりょうでん【清涼殿】

平安京内裏の主要殿舎の一つ。〈せいろうでん〉とも読み,清冷殿,西涼殿,路寝(ろしん),中殿(ちゆうでん),本殿ともいう。天皇の日常の御座所があり,四方拝,小朝拝,叙位,除目(じもく)等の公事を行ったところ平安京内裏では,はじめ諸殿の中央にあった仁寿殿(じじゆうでん)がその役を果たしていたが,村上天皇の代,960年(天徳4)の火災以後,清涼殿がこれに代わったと伝えられている。天正度の造営(1590)のときに常御殿(つねごてん)が造られ,これが天皇の日常の御座所となったため,清涼殿は儀式にのみ使用されることとなった。

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大辞林 第三版の解説

せいりょうでん【清涼殿】

平安京内裏の殿舎の一。紫宸殿ししんでんの北西にあり、東向きで、九間二間の母屋もやの周囲に廂ひさし、さらに東側には孫廂を出した入母屋いりもや造りの建物。天皇の日常の居所で、四方拝・小朝拝・叙位・除目じもく・官奏などの公事も行われた。母屋の南五間が昼の御座おまし、北側が夜の御殿おとど、南廂が殿上てんじようの間となる。近世初期の内裏造営後、清涼殿は儀式専用となった。せいろうでん。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清涼殿
せいりょうでん

「せいろうでん」とも読む。平安宮内裏(だいり)の殿舎の名。中殿(ちゅうでん)、本殿(ほんでん)ともいう。天皇の日常の居所。平安初期には仁寿(じじゅう)殿にあった居所が、やがて清涼殿に移り、天皇がここで崩御すると建て替えられることもあった。律令(りつりょう)政治の変質によって、天皇の私生活の場である清涼殿が政治の中心となっていき、叙位・除目(じもく)などの重要な公事(くじ)も行われた。戦国末期になって、天皇の居所として常御殿という殿舎が建てられ、以後清涼殿では儀式を行うだけとなった。1855年(安政2)平安内裏を復原、造営された清涼殿が、現在も京都御所に残っている。
 後涼(こうりょう)殿の東、仁寿殿の西に位置し、檜皮葺(ひわだぶき)、入母屋(いりもや)造で南北9間、東西2間の母屋(もや)の四面に庇(ひさし)、東に孫庇がある東向きの建物。母屋は南側から、居間にあたる昼御座(ひのおまし)、次が寝室となる夜御殿(よるのおとど)、その北は藤壺上御局(ふじつぼのうえのみつぼね)、萩(はぎ)の戸(と)の2室に分かれる。東庇は南側から石灰壇(いしばいのだん)、次に平敷の昼御座が置かれ、二間(ふたま)、弘徽殿上御局(こきでんのうえのみつぼね)と続く。公卿(くぎょう)などの座となる東孫庇(弘庇(ひろびさし))は、北端に、布張りの衝立(ついたて)、荒海障子(あらうみのそうじ)が置かれ、その表には荒海のほとりに手長・足長という怪物のいる図が描かれており、二間の前には、同じく布張りの昆明池障子(こんめいちのそうじ)が置かれ、表に中国の昆明池の図が描かれている。南端に、踏むと音のする鳴板(なるいた)があって、年中行事障子を経て小板敷(こいたじき)に至る。東簀子(すのこ)には東庭へ下りる階段が2か所あり、簀子に沿って御溝水(みかわみず)が流れ、その前に河竹(かわたけ)・呉竹(くれたけ)が植えられた。西庇は北側から御湯殿(おゆどの)、御手水間(おちょうずのま)、朝餉間(あさがれいのま)、台盤所(だいばんどころ)、鬼間(おにのま)と、天皇の洗面、食事やその準備のための部屋が並んで、朝餉壺(あさがれいのつぼ)、台盤所壺という西庭に面する。南庇は公卿、殿上人(てんじょうびと)たちが詰める殿上の間になっていた。[吉田早苗]

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世界大百科事典内の清涼殿の言及

【皇居】より

…なお平安宮では,朱雀門以下の宮城十二門に囲まれた,内裏と朝堂院および諸官衙等を包括して宮城と称したが,唐の長安城では,官衙や宗廟を配置した皇城が,宮城の南に完全に区別して位置した。
[平安内裏と里内裏]
 平安宮の内裏は,紫宸殿(ししんでん)を正殿とし,その北に接する仁寿殿(じじゆうでん)を平常の居所とし,その北に后妃・皇子女等の居住する後宮諸殿舎を配置したが,紫宸殿における朝儀・公事が多くなるに伴い,9世紀末から10世紀初めの寛平・延喜ころから紫宸殿の北西に位置する清涼殿(せいりようでん)が天皇の常居となるようになった。この平安内裏は,960年(天徳4)村上天皇のとき初めて焼亡し,以後焼失と再建を繰り返して鎌倉中期に及んだが,1227年(安貞1)後堀河天皇のとき焼亡廃絶した。…

【清涼殿】より

…天皇の日常の御座所があり,四方拝,小朝拝,叙位,除目(じもく)等の公事を行ったところ。平安京内裏では,はじめ諸殿の中央にあった仁寿殿(じじゆうでん)がその役を果たしていたが,村上天皇の代,960年(天徳4)の火災以後,清涼殿がこれに代わったと伝えられている。天正度の造営(1590)のときに常御殿(つねごてん)が造られ,これが天皇の日常の御座所となったため,清涼殿は儀式にのみ使用されることとなった。…

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