曾於郡郷(読み)そのこおりごう

日本歴史地名大系 「曾於郡郷」の解説

曾於郡郷
そのこおりごう

囎唹そお郡北西部、霧島山麓から南西へ流下する霧島川流域を占める。近世は囎唹郡郷とも記され、地元ではソノクイゴウともよんだ。

〔中世〕

大隅国建久図田帳には曾野郡とみえ、二二九町四段大で、正八幡宮(現鹿児島神宮)領五六町一段と国衙領、島津庄永利ながとし二三町三段三丈からなる。正八幡宮領は不輸地の御供田一四町七段・寺田一五町七段と、雑役免の半不輸地である国方所当弁田の万徳まんとく(町別一〇疋)五町二段・恒見つねみ(町別一九疋三丈)二〇町五段からなる。国衙領は公田八一町と寺田(仏餉灯油料)九町六段半・経講浮免田(聖朝府国祈祷料)五三町六段大・府社領五町七段からなり、公田の内訳は重枝しげえだ二〇町・重富しげとみ三三町・用松もちまつ一五町・弟子丸でしまる五町・重武しげたけ三町・元行もとゆき五町。このうち田所建部宗房所知の弟子丸と、権大掾建部近信所知の元行を除き税所藤原一族の支配で、重枝は郡司藤原篤守、重富・重武は税所藤原篤用、用松は藤原篤頼の所知とある。用松は現牧園まきぞの持松もちまつ、重枝は現国分重久しげひさと考えられる。税所氏は大隅国大介・税所職・曾於郡郡司職などをもつ在庁官人系の有力な在地領主で、建久九年(一一九八)三月一二日の大隅国御家人注進状写(隼人桑幡文書)には曾野郡司篤守と税所篤用が国方御家人としてみえる。税所氏は篤満の子安弁が霧島座主職に、祐満が税所職と止上とがみ(現国分市)の大宮司職をもち、その子義祐は大介兼税所職・押領使職・曾於郡郡司職にあった(地誌備考)。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)によれば、曾於郡の郡田こおりだ(現国分市)一三町、下河俣五町、重久名(現国分市)一三町、田口たぐち八町・大窪おおくぼ六町・川北かわきた五町・用松一五町・重富名、島津庄寄郡として曾野求利(永利)一一町一反大のうち、用松二町四反(名主御家人諸二郎兵衛尉重祐)、弁済使分三町六反・加治屋五町二反大が記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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