重原庄(読み)しげはらのしよう

日本歴史地名大系 「重原庄」の解説

重原庄
しげはらのしよう

重原庄は碧海へきかい郡に属し、藩政期には重原村をはじめ、刈谷かりや池鯉鮒ちりゆう八橋やつはし(現知立市)など五四ヵ村にその荘名が残っていた。平安末に発生した荘園の一つとして、早くから史上にあらわれていた。「平治物語」の平治元年(一一五九)一二月「源氏勢汰への事」の項に、重原兵衛父子の名がある。この重原兵衛は、重原庄を本拠地としていた武士と思われる。重原庄の成立年代は、明確にはしがたいが、保元―平治(一一五六―六〇)の頃までに成立していたと考えられる。

建保元年(一二一三)四月、法勝ほうしよう寺九重塔供養武士として東面を守護した一人に、重原左衛門尉次広の名がみえる(名月記)。法勝寺は白河法皇の勅願寺として建立した寺である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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