野々村庄(読み)ののむらのしよう

日本歴史地名大系 「野々村庄」の解説

野々村庄
ののむらのしよう

由良川の上流、現美山町の西部を荘域とする。荘名の初見は承久二年(一二二〇)一一月一三日の草部末友譲状(鹿田文書)で、「三郎男友成分」として「野々村御庄御問」とある。野々村御庄とあることから、もとは皇室領であったと思われる。

その後については南北朝期の足利尊氏書状(古筆氏文書)に「野野村庄」とみえるが、つまびらかでない。わずかに応永一七年(一四一〇)の建仁寺領諸国注進目録(建仁寺旧記)に「野々村地頭職」がみえ、室町初期に建仁けんにん(現京都市東山区)がこの地に権益をもっていたことが知られるのみである。

当荘成立の時期・事情について二つの伝承がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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