日本大百科全書(ニッポニカ) 「番頭制」の意味・わかりやすい解説
番頭制
ばんとうせい
平安時代後半から、朝廷、鎌倉幕府、荘園(しょうえん)領主が番役や年貢、雑公事(ぞうくじ)を収取するために設定した組織で、主として恒常的な課役を、所属した人々に順番で交替に奉仕させた。その組合せを番といい、その番の長を番頭といった。番頭は番や番役・雑公事収取の責任者で、有力者から選ばれた。番頭の下には番子(ばんし)がおり、両者によって番を構成した。摂関家大番舎人(とねり)の場合、近江(おうみ)・和泉(いずみ)・摂津三国に居住する舎人が、番役単位の一旬ごとに約90人ずつ上番した。鎌倉時代になると、荘園領主など上からの番設定に対応して、畿内(きない)とその周辺部の荘園内にも番組織が在地組織によっても設定された(番頭制荘園という)。荘園内の番は田積の均等な番田・公事田を基礎として組まれ、年貢・雑公事などの課役の手続上の繁雑さを避けたり、負担の公平さを期するためのものであった。鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて、畿内やその周辺部では農民の自立化が進み、惣村(そうそん)を発展させ、惣村内の地下請(じげうけ)や神仏の祭礼勤仕に番頭制を利用した。
[山田安利]
『渡辺澄夫著『増訂 畿内庄園の基礎構造』上下(1970・吉川弘文館)』