20世紀日本人名事典 「野上菊太郎」の解説 野上 菊太郎ノガミ キクタロウ 明治〜昭和期の実業家,郷土史家 豊後電気社長。 生年明治11(1878)年9月8日 没年昭和9(1934)年8月1日 出生地大分県西真玉大村(現・真玉町) 学歴〔年〕東京帝国大学工学部電気学科卒 経歴住友別子銅山に入社。大正2年よりドイツを視察し、帰国ののち大阪に野上工業所を設立してその社長に就任。9年には郷里大分に豊後電気株式会社を興し、同地方の電力供給に大きな役割を果たした。ちなみに、正午の時報としてサイレンを鳴らしたのは、彼が最初であるといわれている。また、歴史家としても活躍し、郷里の真玉氏の事績を研究して「真玉氏一族」を著した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野上菊太郎」の解説 野上菊太郎 のがみ-きくたろう 1878-1934 明治-昭和時代前期の実業家。明治11年9月8日生まれ。住友別子銅山に入社。欧米を視察後,大正4年大阪に野上工業所を創立して社長となる。9年豊後電気を設立。また中世史の研究をおこない,「真玉氏一族」をあらわした。昭和9年8月1日死去。57歳。大分県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by