朝日日本歴史人物事典 「野中助継」の解説
野中助継
生年:文政11(1828)
幕末の土佐(高知)藩士。永井新平の次男。野中兼山の支流の裔野中持継の養子。通称太内。野中家は数次不幸が続き,養子に入ったときは5人扶持切米12石の微禄だった。しかし,気性激しく節を貫く気骨があり,吉田東洋に訓育されて,吉田派幹部となり幡多郡奉行,高岡郡奉行を経て小目付,大目付に累進し,馬廻200石となった。勤王党の断獄には峻厳をもって臨み,また徳川将軍家擁護の政治姿勢を貫き,挙兵討幕論の乾(板垣)退助らと衝突,戊辰戦争では,前衛隊司令に任命されたが出兵不可を強硬に唱え就任拒否,5月南会所にて切腹して果てた。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報