日本大百科全書(ニッポニカ) 「コロー」の意味・わかりやすい解説
コロー
ころー
Jean-Baptiste Camille Corot
(1796―1875)
フランスの画家。7月17日パリに生まれる。商人の道を歩ませようという両親の意に反して絵画を志し、最初若い風景画家アシル・ミシャロンに学び、ついで新古典主義者ビクトール・ベルタンに学ぶ。ベルタンを通じてプーサンなどにも学ぶが、ベルタンは同時に、自然を研究することを教える。1825~28年の間ローマに遊学。当時ローマに集まっていた外人画家たちの、アカデミズムを脱却して戸外の自然の真実を求めようとする態度に同調し、ローマやカンパニアの野を題材として、明るい地中海の光、明確な形態感の描出を求めた数多くの習作を残している。
帰国後も自然の真実を求めて、フランスの各地を旅行し、スイス、イギリスにも旅行し、イタリアにも1834、43年の2回旅している。とくに、パリに近いビル・ダブレーに1年のうちある期間滞在して、『シャルトル大聖堂』(1830・ルーブル美術館)などの周辺の風景を描く。バルビゾンでも描いているが、オランダ派の影響の強い他の画家たちに対して、コローはイタリア派の明晰(めいせき)さを守っている。また一般にバルビゾン派が自然から受け止める観念的な情緒を表出しようとしたのに対して、彼はより視覚的な真実を求める。しかし、イル・ド・フランス地方などの柔らかな光や大気、緑の諧調(かいちょう)などが、イタリア的な視覚の明るさとは異なる微妙な雰囲気の描出をしだいにコローに啓発する。「コローの銀灰色」とよばれる微妙な輝きを帯びた緑の諧調などがそれである。
彼は1827年よりサロンに定期的に出品している。しかしここでは伝統的な審査に対する配慮のために歴史画、聖書画などが主体であり、少なくとも35年までは成功していない。しかし、風景のなかにニンフたちを描く作品はしだいに注目を集め、55年のパリ万国博覧会の際の展示で一挙に名声は高まる。『モルトフォンテーヌの思い出』(1864・ルーブル)、『マントの橋』(1868~70・ルーブル)は、自然の柔らかな光の震えを再現するとともに、静かな詩想をさえ宿す円熟期の作品である。
一方、コローは人物表現も行い、とりわけ裸婦や女性肖像に、『青衣の婦人』(1874・ルーブル)、『真珠の首飾りの夫人』(1868~70ころ・ルーブル)などの傑作を残し、1875年6月22日パリに没した。ロボー編集の全作品目録には約2500点の作品が集録されているが、さらにそれに数百点の追加が予想される。
[中山公男]
『マドレーヌ・ウール著、田中淳一訳『コロー』(1974・美術出版社)』▽『坂本満解説『新潮美術文庫21 コロー』(1974・新潮社)』▽『佐々木英也解説『現代世界美術全集19 コロー/ミレー/クールベ』(1973・集英社)』