朝日日本歴史人物事典 「フェントン」の解説
フェントン
生年:1828.7.12
明治期のお雇い外国人。イギリス第10連隊第1大隊軍楽隊長。アイルランド出身。慶応4年3月12日(1868.4.4)来日,翌年からイギリス軍駐留地横浜において薩摩(鹿児島)藩士30名余に軍楽の指導を始める。明治4(1871)年イギリス陸軍退役後は兵部省雇水兵本部楽隊教師となり,引き続きブラスバンドの指導に当たって,わが国海軍軍楽隊の基礎を築いた。9年以後海軍省・宮内省兼傭教師となって式部寮所属の伶人たちにも洋楽を教えたが,1年間で解傭,アメリカへ向けて離日した。日本での再就職希望の手紙をアメリカから日本に送るものの希望は実現せず,1883年イギリス陸軍省海外在住者年金支給後の消息は全く不明である。フェントンは明治時代最初期の日本における組織的吹奏楽教育・指導に多大の貢献をなし,儀礼曲「君が代」も作曲した。最初の妻アニー・マリアは横浜の外人墓地に眠る。<参考文献>中村理平『洋楽導入者の軌跡』
(中村洪介)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報