日本歴史地名大系 「野中新田村」の解説 野中新田村のなかしんでんむら 山形県:鶴岡市青竜寺川・内川流域地区野中新田村[現在地名]鶴岡市播磨(はりま) 野中播磨京田(はりまきようでん)村の東、青竜寺川西岸にある。播磨堰の分水により開拓された新田村。寛文五年(一六六五)頃と推定される庄内高帳(鶴岡市郷土資料館蔵)に大山藩領として村名がみえ、高五四石余。同九年幕府領となり、文久四年(一八六四)庄内藩領。弍郡詳記によれば高六三石余、家数一四。土壌は砂質で水害を受けやすく、水利慣行は播磨京田村に従属的であった。天保年間(一八三〇―四四)全国巡行の夫婦の六部が当村の木村五左衛門方に寄食した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by