日本歴史地名大系 「播磨京田村」の解説 播磨京田村はりまきようでんむら 山形県:鶴岡市青竜寺川・内川流域地区播磨京田村[現在地名]鶴岡市播磨本郷(ほんごう)村の北、青竜寺川西岸平坦地にある。備中街道が東西に貫通する。集落は間に苗代を挟んで東(ひがし)村と西村に分れ、また東に離れて小瀬京田(こせきようでん)集落がある。播磨経田村とも記され、かつて羽黒山領であったとする説もある(三山雅集)。播磨国加古(かこ)郡高砂(たかさご)浦(現兵庫県高砂市)出身の諏訪図書により開かれたと伝え、村名も出身地の国名にちなむという(「図書一件書類」播磨斎藤文書)。慶長一七年(一六一二)の播磨京田村御年貢御蔵済(鶴岡市郷土資料館蔵)によれば、納入済五三七石余、未進一八石余で、肝煎は図書と源蔵であった(木食鉄門所蔵書抄)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高一千一三八石余。同年の庄内寺社領目録ではほかに勝伝(しようでん)寺領七石余がある。翌九年の検地帳(播磨斎藤文書)が二分冊のうち一冊のみ残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by