20世紀日本人名事典 「野口秀並」の解説 野口 秀並ノグチ ヒデナミ 明治・大正期の教育家,歌人 生年天保7年(1836年) 没年大正9(1920)年8月3日 出生地土佐国土佐郡秦泉寺村(高知県高知市) 経歴土佐藩士の子に生まれる。早くから西森〓谷に漢学・習字を学び、のち独学に努め一家を為し国語を専門とした。明治維新後は小学校教育に従事し、明治8年甲義学舎助教授、9年陶冶学舎准訓導、続いて師範学校助訓を経て、高陽新聞、弥生新聞に入社。のち再び教育界に戻り、17〜35年県立高知中学校(追手前高校)や佐川分校などで准助教授、教諭として在職した。その後は私塾を開いて子弟を教えた。和漢の学に通じ、特に和歌をよくし海南歌壇にその名を知られた。著書に「海南史」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野口秀並」の解説 野口秀並 のぐち-ひでなみ 1836-1920 明治-大正時代の教育者。天保(てんぽう)7年生まれ。土佐高知藩士の子。維新後,申義学舎,陶冶(とうや)学舎,高知中学などでおしえる。和歌にすぐれた。大正9年8月3日死去。85歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by