野坂田村
のさかだむら
[現在地名]飯山市大字野坂田
千曲川の自然堤に沿って安田・上新田の北へ続いて開発された集落である。
諏訪社下社秋宮の第四之御柱所役を、天文年間(一五三二―五五)前より務めており、天正六年(一五七八)にも造宮役を負っている。
立地の関係で、絶えず千曲川の洪水に悩まされ、飯山城主堀直寄も領内の百姓を動員して連年普請にあたらせた。元和元年(一六一五)一二月、直寄は「在々置目」(島津文書)を出して明年よりの夫役を用捨することにした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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