野増村(読み)のましむら

日本歴史地名大系 「野増村」の解説

野増村
のましむら

[現在地名]大島町野増

新島にいじま村の南、島の西側に立地し、南東差木地さしきじ村。昭和四〇年(一九六五)大火でほぼ全焼し、西部海岸の野増漁港周辺に新しい集落が成立した。寛延二年(一七四九)の大島差出帳(大島町蔵)では家数三七・人数一四三。安永三年(一七七四)の伊豆国附島々様子大概書によると戸口は四九軒・二二七人。当村および差木地村・泉津せんづ村の三ヵ村は釜方(山方)とよばれ、塩貢を納めていた頃には塩作りに従事、「南方海島志」には「野増・差木地・泉津ノ三村、昔シハ塩ヲ煮コトヲ業トシ、塩釜有リシ故、釜百姓ト称ス」とみえる。その後は薪伐・海藻取・畑作などを生業としていた(前掲大概書)。幕末期の当村名主浜中長四郎は山方村であった当村の漁業権獲得に奔走している(大島町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む