日本歴史地名大系 「野子村」の解説 野子村のこむら 長崎県:平戸市野子村[現在地名]平戸市野子町浦志自岐(うらしじき)村の西に位置し、志々伎(しじき)湾の南に延びる野子半島を村域とする。半島の中ほどに志々伎山があり、半島の西から北にかけて高(たか)島のほか、無人島の頭(かしら)ヶ島・沖(おき)ノ島・中(なか)ノ島・恵徳(えとく)島・尾上(おのえ)島があり、沖ノ島には縄文時代より弥生時代にわたる遺跡がある。また沖ノ島・宮(みや)ノ浦・野子には式内社の志々伎神社が祀られる。宝徳四年(一四五二)九月五日大(おお)島(現大島村)に向けて平戸を出た第一一次勘合貿易船が「野古」に吹流されている(允澎入唐記)。江戸時代は津吉(つよし)村のうちで、正保国絵図に野子村とあり、高一〇二石余。慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳にみえる「宮ノ浦」「氏宮」は当地と考えられ、一里山が築かれていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by