日本歴史地名大系 「野嵩村」の解説 野嵩村ぬだきむら 沖縄県:沖縄島中部宜野湾市野嵩村[現在地名]宜野湾市野嵩(のだけ)・野嵩一―四丁目・新城(あらぐすく)一―二丁目・普天間(ふてんま)一―二丁目新城(あらぐしく)村の北東にある。初め中城(なかぐしく)間切に属し、絵図郷村帳で中城間切のうちに「まえ普天間村」とある。琉球国高究帳では前普天間(めーふていま)村の高頭一〇六石余、うち田三九石余・畠六七石余。康熙一〇年(一六七一)宜野湾(じのーん)間切新設により管轄替えとなり、「琉球国由来記」「琉球国旧記」では宜野湾間切のうちで野嵩村とみえる。尚敬王二二年(一七三四)野嵩村に居住する宮里の子島袋が親孝行で王府から表彰されている(球陽)。野嵩ノロの管轄する国中森(くになかむい)のほか、拝所に伊礼(いりー)之殿・東(あがり)之殿・野嵩巫火神がある。麦・稲四祭の時伊礼之殿では地頭・百姓中・根人が五水・神酒・穂・シロマシなどを供え、東之殿では百姓中が芋神酒を供えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by