沖縄県、沖縄本島南部の西海岸にある市。1962年(昭和37)市制施行。方音ジノン。市域の大部分は、西海岸に緩やかに傾斜する琉球(りゅうきゅう)石灰岩の海岸段丘上にある。1879年(明治12)普天間(ふてんま)に中頭(なかがみ)郡役所が、続いて中頭郡教育部会事務所、県立農事試験場などが設置され、中頭郡の政治、経済、教育の中心となる。第二次世界大戦前の宜野湾村はサトウキビ畑が広がる純農村。戦後は野嵩(のだけ)地区に避難民収容地区ができ、多くの避難民が収容され、人口が急増し、「野嵩市(のだけし)」とよんでいたが、1946年(昭和21)アメリカ軍命により宜野湾村が復活。その後、市域の主要部分がアメリカ軍基地として接収されるとともに、野嵩、普天間を中心に基地の町として成長。市域の29.4%(2022)をアメリカ軍基地が占めているが、普天間飛行場(市域の25%)の移転が決まっている。基地を取り囲むように国道58号、330号が走り、道路に沿って市街地を形成。東の市境付近を沖縄自動車道が通る。1972年沖縄国際大学が設立されたほか、琉球大学が宜野湾市と接する中城(なかぐすく)村から西原(にしはら)町にかけて、那覇より移転し(1977~1984年)、学園都市としての性格を強めている。農家は減少しているが、サトウキビのほか、本土出荷の花卉(かき)栽培が盛んである。田芋は本市の特産。また、名所旧跡として、熊野から勧請(かんじょう)した普天満権現(ごんげん)(普天満宮)、県指定名勝で羽衣伝説の森の川(湧泉(ゆうせん))などがある。面積19.80平方キロメートル、人口10万0125(2020)。
[堂前亮平]
『『宜野湾市史』全14冊(1980~2021・宜野湾市)』
沖縄県,沖縄島(本島)中部西海岸にある市。1962年市制。人口9万1928(2010)。東は中城(なかぐすく)村,北は普天間川を境に北中城村,北谷(ちやたん)町,南は牧港川で浦添市に隣接する。1671年(寛文11)首里王府の新政策によって,14ヵ村で宜野湾間切が創設された。以後1879年の廃藩置県を経て1908年の特別町村制の施行で,宜野湾間切は宜野湾村と改称された。市域の大部分は西側に傾斜する台地上にあるが,市域の約33%は軍用地で,市域の中央部を占めるため,市街地はドーナツ状に発達する。第2次世界大戦前はサトウキビ産地として知られ,中頭(なかがみ)郡の中央部にあるため郡役所など郡の中枢的機能が集まっていた。熊野から勧請した普天満権現は沖縄八社の一つで,本殿が鍾乳洞のなかにある。基地の町として成長してきたが,交通至便のため,1972年沖縄国際大学が移転してくるなど,文教都市の様相も呈している。西海岸の埋立地では,沖縄コンベンションセンターを中心に,ホテル・マリーナ・スポーツ施設等を配して整備が進められている。市街地の背域では,野菜,花卉の栽培が行われ,とくに大山の田イモは県内消費の70%を占める。
執筆者:田里 友哲
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