八重瀬(読み)やえせ

改訂新版 世界大百科事典 「八重瀬」の意味・わかりやすい解説

八重瀬[町] (やえせ)

沖縄県島尻郡の町。沖縄島(本島)南部にある。2006年1月東風平(こちんだ)町と具志頭(ぐしかみ)村が合体して成立した。人口2万6681(2010)。

八重瀬町南東部の旧村。島尻郡所属。人口8035(2005)。全体に起伏の多い丘陵状の地形で,海岸線の南半分は断崖絶壁をなし,沿岸に遠浅サンゴ礁が発達する。第2次世界大戦前は農業と漁業中心の村で,ハワイ,南アメリカなどへの海外移民が多かった。東部の港川は糸満漁民が移住してつくった集落で,村唯一の漁港として現在も漁業が盛んである。農業はサトウキビ,野菜,花卉栽培が行われ,また乳用牛,豚などの畜産が盛んである。港川では粟石の名で知られる砂質石灰岩の採掘が行われており,この採石場から1万8000年前の人骨が発見されている。

八重瀬町北西部の旧町。島尻郡所属。内陸にある。人口1万7086(2005)。町の南に沖縄島南部で一番高い八重瀬岳(183m)があるほかは,比較的平たんな地形で,ジャーガルと呼ばれる泥灰岩の風化した肥沃土壌に恵まれている。第2次世界大戦前には島尻郡役所が置かれていた。かつては純農村で,与座泉(よざがー)からの灌漑溝によって水田が広がり稲作が行われたが,その後畑地化が進み,現在ではサトウキビを基幹作物とし,野菜や花卉の栽培,豚,肉用牛,乳用牛などの畜産も盛んである。近年,那覇市のベッドタウンとして,宅地化が進んできた。沖縄自由民権運動の先駆者謝花昇(じやはなのぼる)の出身地で,その銅像がある。県の文化財に指定されている石彫の大獅子(17世紀後半)がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八重瀬」の意味・わかりやすい解説

八重瀬(町)
やえせ

沖縄県沖縄本島南端、島尻郡(しまじりぐん)にある町。2006年(平成18)同郡東風平町(こちんだちょう)、具志頭村(ぐしかみそん)が合併して成立。町名は南部にある八重瀬岳(標高163メートル)により、山名の方音(ほうおん)はエージ。南は太平洋に面し、糸満(いとまん)市の東にあたる。海岸線は海食による断崖絶壁。南部を東西に国道331号が走り、中央を縦貫する国道507号がこれに接続する。最高地点の八重瀬岳一帯は、琉球石灰岩が分布する台地で、北側は急な斜面を形成するが、全体的には平坦な丘陵地帯。東の南城(なんじょう)市との境を雄樋(ゆうひ)川が流れ、北部を饒波(のは)川が西流する。産業の中心はサトウキビや熱帯果実、野菜、花卉(かき)栽培などの農業で、酪農も盛んに行われている。那覇(なは)市に近い北部は宅地化が進んでいる。1970年(昭和45)、雄樋川河口近くの港川(みなとがわ)の採石場から1万8000~1万6000年前の人骨が発見された。町立具志頭歴史民俗資料館には、その全身骨格のレプリカや、町の出身者で沖縄の自由民権運動を指導した謝花昇(じゃはなのぼる)の関係資料などが展示されている。第二次世界大戦では、米軍の激しい攻撃を受け、海岸を中心とした一部地域が沖縄戦跡国定公園に含まれる。面積26.96平方キロメートル、人口は3万0941(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「八重瀬」の意味・わかりやすい解説

八重瀬[町]【やえせ】

沖縄県,沖縄島南部に位置する島尻郡の町。2006年1月,島尻郡東風平町,具志頭村が合併し町制。国道331号線,507号線が通じる。26.96km2。2万6681人(2010)。

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