野沢一郎(読み)ノザワ イチロウ

20世紀日本人名事典 「野沢一郎」の解説

野沢 一郎
ノザワ イチロウ

大正・昭和期の実業家 日本鉄塔協会会長



生年
明治21(1888)年5月16日

没年
昭和53(1978)年5月20日

出生地
栃木県河内郡本郷村(現・上三川町)

学歴〔年〕
東京高等工業学校卒

主な受賞名〔年〕
発明協会大賞,恩賜記念賞,藍綬褒章,紫綬褒章

経歴
大正6年に巴組鉄工所を興し、主に鉄塔などの建築を手がける。昭和7年立体構造建築のダヤモンドトラスを開発し、建築業界で注目を浴びた。戦後はさらにダイヤモンシェルやトモエユニトラスなどを作り出し、総合建築事業を展開。23年には日本鉄塔協会を設立し、その会長として業界の発展に寄与した。その傍ら、郷里栃木県のスポーツ・教育振興にも尽力し、これらを援助する目的で32年野沢一郎育英会を創立晩年は趣味の絵画に没頭し、80歳を過ぎて日展に「富士四合目」「雪景色」を出品し、それぞれ入選を果たした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野沢一郎」の解説

野沢一郎 のざわ-いちろう

1888-1978 大正-昭和時代の実業家。
明治21年5月16日生まれ。大正6年巴組鉄工所を創設。昭和7年立体構造建築ダイヤモンドトラスを開発。戦後はダイヤモンドシェル,トモエユニトラスを開発し,鉄塔から総合建設へと事業を拡大させた。23年日本鉄塔協会を設立し,会長。32年野沢育英会を設立した。昭和53年5月20日死去。90歳。栃木県出身。東京高工(現東京工業大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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