野沢勝太郎(2世)(読み)のざわかつたろう[にせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野沢勝太郎(2世)」の意味・わかりやすい解説

野沢勝太郎(2世)
のざわかつたろう[にせい]

[生]1912.7.1. 大阪
[没]1996.12.5.
義太夫節三味線方。本名坂本芳太郎。1924年野沢勝平(のちの 2世野沢喜左衛門)の弟子となって野沢勝芳を名のり,1930年四ッ橋文楽座(→文楽座)で初舞台を踏む。1936年師匠とともに文楽座を脱退し新義座に参加したが,1939年文楽座に復帰する。1942年11月に 2世野沢勝太郎となる。1949年に文楽が二派に分裂すると,三和会(みつわかい)に所属。1951年から 6世竹本住大夫の,1958年からは 10世豊竹若大夫の相三味線を務めるなど,常に一座長老を補助し,特に豪快な若大夫との組み合わせは持ち前の健腕がいかされ,好評を博した。文楽協会設立後の 1967年に若大夫と死別してからは 3世竹本春子大夫の相三味線となるが,春子大夫が急死したためしばらく後進の指導にあたる。1974年から 4世竹本津大夫と組んで本領を発揮し始めたが,1976年病に倒れた。師匠の 2世野沢喜左衛門とは芸風の異なる豪快で切れ味の鋭い三味線だった。(→浄瑠璃人形浄瑠璃

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