野沢吉二郎(読み)ノザワ キチジロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「野沢吉二郎」の解説

野沢 吉二郎(3代目)
ノザワ キチジロウ


職業
義太夫節三味線方

本名
中川 謙治郎

別名
前名=野沢 吉童,野沢 庄次郎,別名=沢 絃平,鶴沢 弦平

生年月日
明治32年

出生地
京都

経歴
少年時代、文楽三味線弾き野沢吉兵衛に入門、吉童、庄治郎を名乗った。ねたみから破門されて上京、沢絃平の名で素人義太夫を指導、のち鶴沢弦平を経て野沢吉二郎を名乗った。近松研究会を主宰、近松作品の研究的上演を継続、廃曲の作曲・新しい演出を試みた。また川口子太郎と組み青年浄瑠璃研究団体「義太夫教室」生みの親となった。さらに戦争で中断された東京の因会を復活させ、義太夫因協会を軌道に乗せた。

没年月日
昭和43年 6月12日 (1968年)

家族
長男=野沢 巣吉(長唄の杵屋佐平)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「野沢吉二郎」の解説

野沢 吉二郎(3代目)
ノザワ キチジロウ

大正・昭和期の義太夫節三味線方



生年
明治32(1899)年

没年
昭和43(1968)年6月12日

出生地
京都

本名
中川 謙治郎

別名
前名=野沢 吉童,野沢 庄次郎,別名=沢 絃平,鶴沢 弦平

経歴
少年時代、文楽三味線弾き野沢吉兵衛に入門、吉童、庄治郎を名乗った。ねたみから破門されて上京、沢絃平の名で素人義太夫を指導、のち鶴沢弦平を経て野沢吉二郎を名乗った。近松研究会を主宰、近松作品の研究的上演を継続、廃曲の作曲・新しい演出を試みた。また川口子太郎と組み青年浄瑠璃研究団体「義太夫教室」生みの親となった。さらに戦争で中断された東京の因会を復活させ、義太夫因協会を軌道に乗せた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野沢吉二郎」の解説

野沢吉二郎(3代) のざわ-きちじろう

1899-1968 大正-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治32年生まれ。7代野沢吉兵衛に入門,野沢吉童ついで庄治郎と名のる。仲間のねたみがもとで破門され,上京。近松研究会を主宰し,義太夫因(ちなみ)協会を創設して義太夫節の研究と発展につとめた。昭和43年6月12日死去。69歳。京都出身。本名は中川謙治郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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