日本歴史地名大系 「野田寺町」の解説 野田寺町のだてらまち 石川県:金沢市金沢城下第一連区野田寺町[現在地名]金沢市十一屋町(じゆういちやまち)・寺町(てらまち)一―五丁目・清川町(きよかわまち)犀川左岸の野田往還沿いの両側町で地子町。泉野(いずみの)扇状地と寺町台地が犀川に接するあたりの寺院密集地。一―五丁目がある。五丁目は蛤坂(はまぐりざか)町中間より南東に折れ松月(しようげつ)寺門前まで、四丁目は五丁目境より南東上石伐(かみいしきり)町まで、三丁目は四丁目境より南東桜畠(さくらばた)四番丁入口まで、二丁目は三丁目境より南東泉野村領地に入る小路まで、一丁目は二丁目境より南東街端に至る(皇国地誌)。元和年間(一六一五―二四)以降に古寺(ふるでら)町など市中に散在していた寺院群を泉野へ移し、以後町名を泉野寺(いずみのてら)町と称した。さらに、当地を野田山墓地への道筋にあたることから野田寺町、一方鶴来(つるぎ)往来にある寺町を泉寺町と区分私称するようになった(「金沢古蹟志」など)。その際、寺町の端から野田往還の並木として小松を植えさせたという(金沢古蹟志)。享保一二年(一七二七)頃からは寺院の門前地等に町家が建ち、しだいに寺社門前町を形成した(「年代摘要」同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by