野谷新村(読み)のだにしんむら

日本歴史地名大系 「野谷新村」の解説

野谷新村
のだにしんむら

[現在地名]稲美町野谷

草谷くさだに村の南、草谷川の中流南岸の傾斜地から高位段丘上にかけて位置する。元禄五年(一六九二)草谷村と野寺村庄屋らが願出て当村の開発に着手した。両庄屋にはそれぞれ二反の屋敷地が与えられた(大住文書)。元禄八年初めての検地が実施され、高五五石余(「本田新田名寄免斗代控帳」長谷川家文書)。元禄郷帳に村名がみえ同高。天保郷帳では高一六四石余。寛延二年の姫路藩領一揆は西条組大庄屋打毀によって幕を開けることになるが、それを先導し組織化に大きな役割を演じたのが、当村の百姓伊左衛門であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む