日本歴史地名大系 「野遠郷」の解説
野遠郷
のとおごう
現堺市野遠町辺りに比定される。久安二年(一一四六)一〇月一七日の僧頼円田地売券(京都大学所蔵古文書集)に「野遠郷萩原里卅五坪之内西一」とみえ、そのうちの田地一反の永年作手を広階信時に鉄一二〇斤で売り払っている。この里坪の記載から当地は条里施行地であったことがわかる。また買主の広階信時は鋳物師であると推測される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現堺市野遠町辺りに比定される。久安二年(一一四六)一〇月一七日の僧頼円田地売券(京都大学所蔵古文書集)に「野遠郷萩原里卅五坪之内西一」とみえ、そのうちの田地一反の永年作手を広階信時に鉄一二〇斤で売り払っている。この里坪の記載から当地は条里施行地であったことがわかる。また買主の広階信時は鋳物師であると推測される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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