野遠郷(読み)のとおごう

日本歴史地名大系 「野遠郷」の解説

野遠郷
のとおごう

現堺市野遠町辺りに比定される。久安二年(一一四六)一〇月一七日の僧頼円田地売券(京都大学所蔵古文書集)に「野遠郷萩原里卅五坪之内西一」とみえ、そのうちの田地一反の永年作手を広階信時に鉄一二〇斤で売り払っている。この里坪の記載から当地は条里施行地であったことがわかる。また買主の広階信時は鋳物師であると推測される。八上やかみ郡東部と丹南郡西部が接する当郷および日置ひき庄付近に鋳物師の大集団が居住していたことを平安中期頃までさかのぼって確認することができる。仁安二年(一一六七)一一月日の蔵人所牒写(真継家文書)などから、日置庄付近の鋳物師は惟宗兼宗によって、永万元年(一一六五)に蔵人所を本所とした灯炉鉄器供御人に組織されていたと思われる(のちに右方灯炉作手と称される)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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