金丸出村(読み)かねまるでむら

日本歴史地名大系 「金丸出村」の解説

金丸出村
かねまるでむら

[現在地名]羽咋市金丸出町

下曾禰しもそね村の南西邑知おうち潟北東縁の低平地に立地。長曾ながそ川が地内で同潟に注ぐ。寛文七年(一六六七)の源右衛門由緒書(服部文書)によると、元和七年(一六二一)服部源七郎が邑知潟金丸村(現鹿西町)縁辺部新開を命じられ、七〇〇俵余の地を開拓、寛永一二年(一六三五)の検地時に村御印を与えられ村立てされた。その後鹿島路かしまじ・下曾禰・金丸・大町おおまちなど近隣諸村から移住、延宝八年(一六八〇)に一五軒となったという。長領で、寛文一一年の鹿島半郡高免付帳(長文書)に村名がみえ、高四四七石、免六ツ四歩九厘。同年加賀藩直轄領となり、延宝七年の村御印の高七二三石、免四ツ七歩、小物成は鳥役五匁・猟船櫂役二二匁余(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む