金剛坂村
こんごうさかむら
[現在地名]明和町金剛坂
祓川東岸にあり、北を伊勢参宮街道が東西に走る。東は竹川村、南は上村、西は稲木村(現松阪市)に接する。縄文以降の複合遺跡があり、早く開かれた地であったことが知られる。明応五年(一四九六)二月一二日付の奉行人山室勝兼書状(古和文書)に「於金剛之坂関、壱銭被宛行候」とみえ、当地に関所があり、関銭徴収権を国司北畠氏が古和借屋氏に宛行っていることがわかる。慶長一六年(一六一一)の検地帳写(徳川林政史蔵)によれば田畑二〇町四反六畝余、分米三四三石七升。小字名に水のおちと・東田・たつの口・長はたけ・なわしろ・はらいと・寺前・寺後・堀ノ内などがみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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