日本歴史地名大系 「明和町」の解説 明和町めいわちよう 三重県:多気郡明和町面積:四〇・四七平方キロ多気郡の北東にあり、北は伊勢湾に面している。西は櫛田(くしだ)川の沖積平野が広がり松阪市に続き、南は多気町・度会(わたらい)郡玉城(たまき)町に、東は伊勢市・度会郡小俣(おばた)町に隣接する。町域のほとんどが平野である。斎宮(さいくう)地区の斎宮跡をはじめ、御糸(みいと)地区・大淀など古くから開かれた地域も多く、縄文から古墳時代に至る遺跡が散在する。かつては伊勢参宮街道に沿って斎宮・明星(みようじよう)一帯には旅籠・茶店などが軒を並べたという。近世当町域の支配は、神宮領・津藩・鳥羽藩・和歌山藩田丸領・下野国吹上藩に分れていた。明治二二年(一八八九)町村制施行により下御糸(しもみいと)村・大淀(おおよど)村・上御糸村・明星村・斎宮村が成立した。 明和町めいわまち 1998年10月1日:邑楽郡明和村が町制施行⇒【明和村】群馬県:邑楽郡 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明和町」の意味・わかりやすい解説 明和〔町〕めいわ 三重県中部,伊勢湾にのぞむ町。 1955年大淀町と上御糸村,下御糸村が合体,三和町設置。同年斎宮村,明星村が合体,斎明村となり,58年三和町と合体,両者より1字ずつ取って明和町となる。中部の斎宮は,古代伊勢神宮の事務諸般を司った斎王宮がおかれたところで,73年以来の発掘により貴重な遺物が発見され,78年 160haに及ぶ地域が史跡に指定された。明星の水池土器製作遺跡も史跡。また天然記念物の斎宮のハナショウブ (ノハナショウブ) 群落がある。主産業は農業と漁業で,かつては伊勢たくあんとなるダイコンの主産地であったが,現在は各種野菜栽培に転じた。漁業は大淀 (おいず) 港を中心とするノリ養殖,貝類採取が主。近畿日本鉄道山田線,国道 23号線が通る。面積 41.04km2。人口 2万2445(2020)。 明和〔町〕めいわ 群馬県南東部,利根川左岸にある町。同川をはさんで埼玉県羽生市に対する。 1955年千江田,梅島,佐貫の3村が合体して明和村となり,98年町制。村域は水田が広がり,米作のほかナス,キュウリなどの野菜と果樹栽培が行われる。特産物にナシ,シクラメンの鉢植がある。東武伊勢崎線,国道 122号線が中央を縦断。面積 19.64km2。人口 1万882(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by