多気郡(読み)たきぐん

日本歴史地名大系 「多気郡」の解説

多気郡
たきぐん

面積:五〇四・八四平方キロ
明和めいわ町・多気たき町・勢和せいわ村・大台おおだい町・宮川みやがわ

北は松阪市飯南いいなん郡、南は度会わたらい郡・北牟婁きたむろ郡、西は奈良県に接している。当郡東北は伊勢湾に面している。櫛田くしだ川と宮川とが郡域の大半を挟むようにして流れる。郡名は「続日本紀」慶雲元年(七〇四)一月二二日条に「伊勢国多気度会二郡」、延長七年(九二九)七月一四日の伊勢国飯野庄太神宮勘注(古梓堂蔵文書)に「十二坪一町竹郡神民口分」とみえる。古代・中世は「たけ」と読まれ、竹郡と記されることもあった。近世以後の表記は多気で「たき」と読む。大台茶として知られる製茶業、山間部では林業が行われている。

〔原始〕

県下では先史遺跡の分布が最も多い。先土器時代ではナイフ形石器が出土する遺跡が約二〇ヵ所あり、宮川上流の大台町三瀬谷みせだに付近から明和町の台地縁辺に至るまで広範囲に分布する。多気町・明和町の丘陵、台地縁辺に多いが、宮川中流の大台町栃原とちはら付近の河岸段丘にも数ヵ所あり、とくに出張でばり遺跡は大規模かつ標式的な遺跡として知られている。細石刃・細石核出土の遺跡になると分布は激減し、出張遺跡など二、三を数えるにすぎない。縄文時代草創期頃に特徴的な有舌尖頭器はナイフ形石器以上の広がりがある。ナイフ形石器の乏しい櫛田川流域でも初めて広く出現する。勢和村石神いしがみ遺跡・多気町牟山むやま遺跡などの例を除くと単独出土が圧倒的に多い。早期の押型文土器は約一〇ヵ所を数え、多気町牟山・坂倉さかくら両遺跡はその源流を探るうえでも興味深い。前期は比較的まとまった遺跡が目立ち、勢和村アカリ遺跡は好例である。中期の遺跡はかなり多く、小遺跡が分散する傾向にある。後期はさらに遺跡数が増加し、縄文遺跡のなかでは最も多い。宮川村大井おおい遺跡・勢和村新神馬場しんがみばんば遺跡などは好例で、規模も拡大し安定した感じをうける。晩期は終末期に小遺跡が集中的に増え、なかでも明和町西出にしで遺跡・勢和村池の谷いけのたに遺跡などは代表的な例である。弥生時代は全般的に山間部の遺跡が著しく減少し、多気町・明和町の丘陵、台地縁辺における分布が増加する。良好な遺跡は少なく、前期以降の複合遺跡に明和町金剛坂こんごうさか遺跡・多気町黒田山くろだやま遺跡などがあり、やや山間に入ると勢和村池の谷遺跡が知られる。中期の宮川村茂原もばら遺跡は最奥部に位置する例であろう。後期の遺跡は最も多く、規模も大きくなるようである。

古墳は中期の多気町権現山ごんげんさん二号墳がまず出現し、続いて明和町の神前山かんざきやま一号墳・高塚たかつか古墳などが築造される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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