金子九平次(読み)カネコ クヘイジ

20世紀日本人名事典 「金子九平次」の解説

金子 九平次
カネコ クヘイジ

大正・昭和期の彫刻家



生年
明治28(1895)年9月9日

没年
昭和43(1968)年10月29日

出生地
東京

経歴
大正10年第3回帝展で「春愁」が初入選。11年フランス留学ブールデルに師事しながらサロン・ドートンヌ、サロン・デ・チュイルリーなどに出品。15年帰国、国画創作協会第2部会員となった。昭和3年同協会解散、第2部が国画会として独立、彫刻部で活躍。8年退会、12年新古典美術協会を創立、主宰した。第2次大戦中に疎開戦後にかけ静岡大学教育学部などで教えた。38年日本橋丸善画廊で「金子九平次彫刻展」で新作を発表した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金子九平次」の解説

金子九平次 かねこ-くへいじ

1895-1968 大正-昭和時代の彫刻家。
明治28年9月9日生まれ。長谷川栄作らにまなぶ。大正10年第3回帝展に「春愁」が初入選。フランスでブールデルに師事。帰国後,国画創作協会会員。昭和12年新古典美術協会を創立した。昭和43年10月29日死去。73歳。東京出身。金光中学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の金子九平次の言及

【明治・大正時代美術】より

…26年斎藤素巌(そがん)(1889‐1974),日名子実三(ひなこじつぞう)(1893‐1945)らは,建築と彫刻の結びつきを主張して構造社を結成する。また同年,国画創作協会に彫刻が加わったとき,ブールデルに学んで帰国した金子九平次(くへいじ)(1895‐1968)が中心となったが,28年に同会が国画会に改組すると,高村光太郎,清水多嘉示(たかし)(1897‐1981),高田博厚(ひろあつ)(1900‐87)らが加わった。さらに,39年国画会彫刻部は解散するが,36年に結成された新制作派協会に,新進の本郷進,柳原義達,佐藤忠良(ちゆうりよう),舟越保武らが結集する。…

※「金子九平次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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